私が「日常使いの器」をつくる理由
はじめに
私は普段、マグカップや飯碗、皿、鉢など、日常の食卓で使う器を中心に制作しています。
陶芸作品には、鑑賞することを目的としたものもあれば、特別な日に使うものもあります。
その中で私が作りたいと思うのは、生活の中で繰り返し使われる器です。
朝、コーヒーを飲む。
ご飯をよそう。
夕食のおかずを盛り付ける。
そんな何気ない時間の中で、自然と手に取ってもらえる器を作りたいと思っています。
今回は、私がなぜ「日常使いの器」を作っているのか、少しお話ししてみたいと思います。
器は使われて初めて見えてくるものがある
器を作っていると、窯から出した瞬間に「完成した」と感じることがあります。
思っていた形に仕上がり、釉薬もきれいに焼き上がっている。
作り手としては嬉しい瞬間です。
でも、その器に料理を盛ってみると、それまでとは違った姿が見えてきます。

何も盛っていないときには少し大きく感じた皿が、料理を盛るとちょうどよく見える。
逆に、器だけではきれいに見えても、料理を盛ると少し窮屈に感じることもあります。
マグカップなら、実際に飲み物を入れて持ってみなければ、重さや持ちやすさは分かりません。
飯碗も、ご飯をよそい、手に持って食べてみることで初めて気づくことがあります。
私にとって器は、窯から出てきた時点ですべてが決まるものではありません。
実際に使うことで、初めて分かることがたくさんあります。
薄さや軽さを大切にする理由
私が日常使いの器を作るとき、意識していることのひとつが「薄さ」と「軽さ」です。
陶器というと、厚みがあり、ずっしりとしたものを想像する方もいるかもしれません。
そうした土の存在感を楽しめる器も、陶器の魅力のひとつです。
ただ、私自身は毎日のように使う器であれば、できるだけ手に負担が少ないものがいいと考えています。
食器棚から取り出す。
料理を盛る。
食卓まで運ぶ。
手に持って食べる。
そして、食べ終わったら洗って片付ける。
器を使う時間は、食べているときだけではありません。
だからこそ、毎日の動作の中で負担になりにくい重さを考えながら制作しています。
もちろん、薄ければ薄いほど良いわけではありません。
強度や形とのバランスも必要です。
その器にとって無理のないところを探しながら、厚みを調整しています。
口当たりや手に持った感覚
マグカップや飯碗など、直接手に持ったり口をつけたりする器では、触れたときの感覚も大切にしています。
例えばマグカップなら、口縁の厚みによって飲み物を口に含んだときの感覚が変わります。
持ち手も、大きさや角度が少し変わるだけで持ちやすさが変わります。
飯碗なら、手に持ったときの重さや高台の大きさも使い心地に関わってきます。
こうした違いは、写真だけではなかなか伝わらないものです。
数値にすることも難しい。
だから私は、自分で実際に使いながら少しずつ形を調整しています。
ほんの数mmの違いでも、毎日使うものだからこそ、その積み重ねは意外と大きいものだと思っています。
料理を盛ったときに完成する器
私が器を作るとき、もうひとつ大切にしているのが「料理を盛ったときにどう見えるか」です。
器そのものに強い存在感を持たせることもできます。
けれど、私が作っている日常の器では、料理との関係を大切にしたいと思っています。
私の作品には、アイボリーを基調として、縁に茶色や青色の装飾を施したものが多くあります。
何も盛っていない状態では比較的静かな器ですが、料理が入ると色が加わり、また違った表情になります。
料理と器の間に少し余白ができる。
縁の色が料理を囲む。
そうしたところまで含めて、一枚の器として見ています。
器だけで完成させすぎないこと。
あくまで料理が主役、器は料理を引き立てる役割。
それも、私が日常使いの器を作るうえで大切にしていることのひとつです。
飲食店の仕事から気づくこと
近年は、飲食店の方から器の制作を依頼していただく機会も増えてきました。
飲食店の器を作ると、家庭で使う器とはまた違った視点に気づかされます。
どんな料理を盛るのか。
一日に何度使うのか。
重ねて収納できるのか。
洗いやすいのか。
料理人が持ったときに扱いやすいのか。
そして、お客様の前に料理と一緒に出たとき、どう見えるのか。
実際に使う人の話を聞きながら器を考えることで、自分一人で制作しているだけでは気づかなかったことを知ることができます。
そうして得た経験は、飲食店の器だけではなく、普段制作している器にも少しずつ戻ってきます。
私にとって飲食店の仕事は、注文された器を作るだけではなく、「使うための器」について改めて考える機会にもなっています。
あと、最近よく飲食の方に言って頂ける言葉が、「料理も器がなければ成立しない」「器があってこその料理です」など仰って頂く機会がありました。
先ほどは、”料理が主役、器は脇役”のように言いましたが、料理人から器も必要なんです、器あってこそなんです!なんて言われると嬉しいですね。俄然やる気が出るというものです笑。陶芸家やっててよかった〜
毎日使うものだから、少しだけ嬉しくなるものを
日常使いの器は、生活に必要な道具でもあります。
ご飯を食べるだけなら、器はどんなものでもいいのかもしれません。
それでも、自分の好きなマグカップでコーヒーを飲んだり、いつもの料理をお気に入りのお皿に盛ったりすると、少し気分が変わることがあります。
毎日の生活を劇的に変えるようなものではありません。
けれど、食卓に置いたときに少し嬉しくなる。
手に取ったときに、なんとなく心地よい。
気がつけば、いつもその器を選んでいる。
私は、そんな器を作れたらいいと思っています。
あと器を選んで頂いている時、今感じているそういった心地よい感覚のような「気持ち」を大事にして見て頂けたら嬉しいですね。私も器を選ぶ時はそうでしたから笑。
まとめ
私が日常使いの器を作る理由は、器が生活の中で使われていくことに魅力を感じているからです。
薄さや軽さ。
手取りや口当たり。
料理を盛ったときの見え方。
収納や洗いやすさ。
一つひとつは小さなことですが、その積み重ねが「使いやすさ」につながっていきます。
そして、使いやすさだけでもなく、眺めるだけの美しさだけでもない。
毎日の食卓で自然と手に取りたくなるもの。
そんな器を、これからも作っていきたいと思っています。
